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原発推進派報道機関による影響 2 直近の原子炉からどれくらいの距離にいられるか? そこでは、危機管理および評価の手順は、どの段階で実際に行われるのか? このような質問は関心を高める。“事件”の影響は、その種類や規模に左右され、事件を収拾する人間の力量にかかっている。また、天候といった単純な要因にも影響されるのだ。避難計画は、正式の制度化された施設への収容を制定し、脅威が非常に現実的で注意を必要とすることを知らしめる。
原子力発電に関する私の認識と確信はどこからくるのか? 個人の教育や経験、そして自己認識に関する社会学や心理学的要素に起因する。関連する疑問は、原子力発電に関するメディアの対象範囲において、市場動向がどのように現れるか?ということだ。1991年から93年の出来事を思い起こすことで洞察力が得られた。アメリカ合衆国エネルギー省(D.O.E.)は、104回の記者会見を準備して手配をし、950回プレスリリースを配り、1650回の D.O.E.職員のための記者会見を行った。また少なくとも307回、(主要なU.S.メディアの)編集者宛に社説や手紙をばら撒いた。
疑問:慣行化されたまやかしに優先権はあるのか?
回答:タバコ産業が行ったまやかしの本質はなにか? このような欺瞞はタバコ産業に限ったものなのだろうか?
前述のような問いかけと回答は効果的で重要である。しかし、本文は主に質問を投げかける : どのようにできるのか! どのようにすべきなのか! 原子力発電事業につきものの、保全性(安全性)や危険(脅威)を評価し、立証するにはどのようにすべきなのか?
これからの著述では、原子力の安全性に対する、根底にある障害を紹介する。障害を独立して分析することは、独立した整合性といってよいかもしれない。しかし過去20年以上テクノロジーを実現させることが、工業化、おざなりな規制、傲慢さとあいまって拡大してきた。規制緩和による経済界の圧力は、天災が起きても安全なものと思わせた。
力ずくの工学技術 1955年初期に、原子力発電所は、致命的な技術的上の欠陥がありながら、主力エネルギーとしていやというほど目にするようになった。いかなる工業も、緊急に資本家されることがアメリカを導いたことはいなめないが、1957年に 海軍少将だった
ハイマン・G・リッコーヴァー (Hyman G. Rickover)が知識不足だったと証言している。すべての設計や運営予防策が人々に受け入れられたにも関わらず、少将は何ヵ所かの蒸気発生装置から漏れがあったことを告白した。「我々は、力まかせのアプローチではなく、十分な時間と資金を費やすべきだった。なぜなら、準備不測な期間では、複雑な基本原理を理解してもらえる希望はなかったからだ。」
1957年の原子力委員会(AEC)スタディで、ブルックヘブン国立研究所(現在は、有毒な放射線を浴びたスーパーファンド用地になっている)で造られた WASH-740、および論文『巨大原子力発電所における主要事故の理論的可能性と結果』が取り上げられた。この論文では、規模の大きな原子炉事故の結果が算定されている。大都市近郊にある小さな原子力発電所を仮定すると、43,000人の負傷者と3, 400人の死者、70億ドルの損失(1957年時点で)が見込まれる。そこで、この委員会をうけてアメリカ合衆国議会は、事業者の補償を有限責任とするプライス・アンダーソン法(Price–Anderson Nuclear Industries Indemnity Act)を通過させた。(通常プライス・アンダーソン法は、ゴア・ビル(Gore Bill)として知られている。上院議員であったアルバート・ゴア・シニア(Albert Gore, Sr.)によって導入されたからだ。このことは、もちろん、『
不都合な真実 』である) マッキニー委員会(McKinney Commission 1957年)は、原子力発電所を建設するための急場の見せかけの措置であり、補助金ほしさのものとして、反論している。
1963年までに、3機の原子力潜水艦が海中に出現し、22機が建設中だった。1967年までには、米国議会は107の原子力潜水艦、8機の原子力水上艦を認可した。さらに、稼働中の41の潜水艦発射弾道ミサイルポラリスを搭載した74機を認可した。1972年には、95機の潜水艦と4機の水上艦の保有と、118機の潜水艦が発注された。ヤンキーアトミック電力会社(YAEC)は、1960年までロウ(メイン州Rowe)に原子炉を持ち、原子力発電分野においてのパイオニアだった。 1963年までに4つのさらに大きな原子力発電所が発注され、1965年には7基、1967年には20基が、翌年には14基が発注された。63年に発注された発電所が69年に稼動されたとき、91基が発注されている最中であり、72年には162基となった。現在、アメリカで稼働中の107の原子力発電所すべてが、この時期の科学技術で配備されたことになる。(6/24現在、103基の原子炉が稼働中である)
元マサチューセッツ工科大学の原子物理学者で、長年産業コンサルタントをしてきたウノ・インガード(K. Uno Ingard)氏は、原子力の問題をその大量生産に起因するとしている。「発電所の設計に関わる技術者は、原発と比較すると規模が小さい海の水力発電所から主に経験を得ていた」と、ウノ・インガードは(個人的なインタビューで)述べていた。「彼ら技術者たちは、以前の経験から発電所をわずかにスケールアップさせただけなのである」
海軍大将ハイマン・G・リッコーヴァーが見極めた問題は、未解決のまま、もしくは無視されたまま残っているのである。問題のひとつとして、水蒸気発電機のパイプ(SGT)は、原子炉の稼動を安全に行うには、危なっかしい課題である。(SGTの分解蒸溜法は、ウエスティングハウス加圧水型原子炉(PWR)を悩ます主要な問題のひとつだ。SGT分解蒸溜法パイプに関する報告書が1960年代初頭に世間に出され、1979年の原子力規制委員会(NRC)は、少なくとも33のアメリカ国内の原子炉で発生したSGTに関する問題点を文書で詳細に裏付けている。最小で13の公共施設がSGTは不正を行ったとして、ウエスティングハウスと燃焼工学を告訴した。告訴は公開審査に反すると封印された書類とともに、却下された。
1995年には、500以上の裂け目ができたSGTパイプがメイン州ヤンキー(原子力発電複合体)で発見され、原子力規制委員会(NRC)に、次回の燃料補給を停止する際に、SGTを患う原子炉の不具合を詳しく検査するべきだという穏やかな要請を公表するよう促した。大部分の公共施設が、問題を自己満足の制御器にすりかえられ、失望させられた。傷のあるSGTパイプを使用している可能性のある発電所は、原子力規制委員会(NRC)に「発電所を運転することが安全だと、なぜ信用できるのかを示す」よう求められた。96年および97年の原子力規制委員会(NRC)の蒸気発生器パイプ故障に関する主要な報告書で、この公表を見ることができる。
技術革新は、“力ずく”や“都合のよい”工学技術だけで成し遂げられたのではなく、核開発速度が人類の革新に対するキャパシティーを上回ったことを露呈した証拠でもある。ハイマン・G・リッコーヴァーの原子力艦隊の原子炉を手本にして、ロシア人を打ち負かす競争に追いつめられ、世界中に広がったにわか景気と不景気に適合するために、科学的に証明されていない楽観主義の経済により、凝り固まった化石燃料経済や実を結ばない原子力発電技術を競うよう強制されているのだ。
ヤンキーアトミック電力会社(YAEC)は、ロウ原子炉のいい加減な原子炉を早急に閉鎖したことでもパイオニアだった。1995年には、市民の監視団体対原子力規制委員会(NRC)において、米国第一審控訴裁判所は、ヤンキーアトミックがNRCの規則と連邦の法律を侵害したと判定した。
See also : keith harmon snow , Nuclear Poisons : They continue to accumulate : Too much , too fast , too hot to handle , insidious and deadly , lasting forever , Valley Advocate , July 1995 .
つづきは6月29日に掲載します。
原文:2011.6.24 By Keith Harmon Snow
http://www.zcommunications.org/the-repercussions-of-a-pro-nuclear-corporate-press-by-keith-harmon-snow
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