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村上春樹氏インタビュー Part2(ドイツのデア・シュピーゲル社)パート2 小説を書くことがわかった。
S:再出発するときがきたと、いつ気がついたのですか?
M:1978 年4月に東京の神宮球場で野球を観戦していたんです。太陽が輝き、僕はビールを飲んでいました。ヤクルトスワローズのデイヴ・ヒルトンが文句なしのヒットを打ったとき、その瞬間、僕は小説を書くことがわかりました。暖かい感じの感覚でした。心の中にはいまだにその感覚があります。今ぼくは、以前の開いた人生から、新しい閉ざされた人生に向かって埋め合わせしています。僕はけっしてテレビには出演しなかったし、ラジオにも出なかったし、めったに見解を述べることもないし、写真を撮られるのもかなり気が進まないし、インタビューもほとんど受けない。僕は一匹狼なんです。
S:アラン・シリトーの『長距離走者の孤独』という本をご存知ですか?
M:その本で感動はしませんでした。退屈でした。シリトー自身はランナーじゃなかったからと言えますが、アイデアそのものは、適切だったと思います。走ることが主人公を自身のアイデンティティーに近づけることを可能にする。彼は走ることで、自由を感じる唯一の状態を見出すのです。僕はそのことと自分を重ねあわすことができます。
S:走ることはあなたに何を教えてくれましたか?
M:確実なことは、ゴール地点に到着することです。走ることは、僕の作家としてのスキルを信じるよう教えてくれました。休養が必要なとき、自分にとってどれくらい休めばよいか学んだし、休息が長くなりすぎると、自分を駆り立てることが難しくなることがわかったんだ。
S:走ることで、作家として成長したと?
M:その通りです。筋肉は鍛えられたし、精神はクリアになりました。不健康な生活を送る芸術家は、より早く燃え尽きると確信しています。ジミ・ヘンドリックス、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリンは、僕の若い頃のヒーローでしたが、みんな早くに亡くなりました。ふさわしい人たちじゃなかったのに。モーツアルトやプーシキンといった天才だけが、早世するにふさわしいのです。ジミ・ヘンドリックスは良かったけど、そんなに賢くはなかった。ドラッグをやっていたからね。芸術的に働くことは健康的でないので、芸術家はそれを埋め合わせるために健康的な生活を送るべきだと思います。物語を見つけ出すことは著者にとって危険なことですが、走ることが危険からそらしてくれるのです。
S:そのことを説明してくださいますか?
M:作家が物語を展開させているとき、彼の中にある毒と対面することになる。毒がなければ、物語は退屈で平凡なものになってしまうだろう。河豚(ふぐ)みたいに。河豚の身はそれは美味しいけど、腹子、肝臓、心臓には死に至る猛毒がある。僕のストーリーは、暗く危険な意識の部分で見出される。僕は体内に毒を感じるけれど、大部分をかわすことができる。なぜって、強い肉体を持っているからね。若いときは、強靭なのでたとえトレーニングをしていなくても、大抵は毒に打ち勝つことができる。でも40歳を超えると、体力が衰えてしまうので、不健康な生活を送っていると、もう毒に対抗することができなくなるんです。
S:J・D・サリンジャーは、32歳のときに彼の唯一の小説『ライ麦畑でつかまえて』を書きました。サリンジャーは、自分の毒に弱すぎたと思いますか?
M:僕はその本を日本語に訳しました。とても良い小説ですが、不完全です。ストーリーはどんどん暗くなっていき、主人公のホールデン・コールフィールドは、暗闇の世界から抜け出せなくなってしまいます。僕は、サリンジャー自身が抜け出す道を見つけられなかったんだと思います。スポーツが彼も救えたか? わかりません。
S:走ることはあなたのストーリーにインスピレーションを与えますか?
M:いいえ、僕は楽しみながらストーリーの素を探し当てるタイプじゃないんです。なので、ソースを詳しく調べなくてはいけない。ストーリーに隠れている僕の魂の中の暗い場所に到達するため、とても深く掘り下げないといけないんです。そのためには、読者も肉体的に強くならないと。走り始めてから、集中できる時間が延び続けているし、暗闇に入るまで何時間も集中しなくてはいけないんです。その過程で、読者はすべてを見出します。イメージ、作中人物、メタファー。あなたたちが肉体的に弱すぎれば、それらを見つけることはできないでしょう。それらを捉えておくだけの力が足りず、意識の表面に戻すだけです。書いているときに、重要なことは、ソースを掘り下げることではありません。暗闇から戻る過程が重要なのです。走ることも同じです。突っきるべきゴールラインがある。どれくらい代償を払ってでも。
S:走っている最中、同様に暗い場所に入り込むことがありますか?
M:走ることは僕にとってとても身近なものです。走っているとき、僕は穏やかな場所にいるのです。
S:ここ数年アメリカに滞在されていますね。アメリカ人と日本人ランナーに違いはありますか?
M:いいえ、ですが、ケンブリッジでのwriter-in-residence (ライター同士の見識をシェアするためのハーバードの学術機関)で、エリートのメンバーというのは、当然死ぬ運命にある人間とは異なる方法で走るということがわかりました。
S:それはどういう意味ですか?
M:僕はチャールズ川沿いのルートを走っていました。すると、いつもハーバードの一年生の若い女子学生を何人か見かけたんです。彼女たちは、耳に iPodをつけて、長いストライドで走っていて、背中でポニーテイルにしたブロンドが前後に揺れていました。彼女たちの全身は、燦然と輝いていました。自分たちが特別な存在だと自覚しているのです。彼女たちの自己認識は、僕の心に深く印象づけました。僕はまずますのランナーです。けれども、彼女たちには癪にさわるほど自信に満ちたなにかがあったのです。僕とは全然違っていた。僕はけっしてエリートの仲間ではなかったんです。
S:あなたはビギナーかベテランランナーか見分けることができますか?
M:初心者は速く走りすぎるし、呼吸が浅いです。ベテランは安定しています。ライターが他のライターの文体や言葉づかいを認識するように、ベテランも、他のランナーを見分けます。
S:あなたの本は、幻想的なリアリズム、つまり魔法に現実味がブレンドされているスタイルで書かれています。走ることにはシュールレアリスト、もしくは形而上学的側面――純粋な身体の成果とは全く切り離されたもの――がありますか?
M:あらゆる活動は、それを十分長く行えば、瞑想的な何かを手に入れます。1995年に、100キロマラソンに参加し、11時間42分かかったんですが、それは宗教的な経験となりました。
S:というと。
M:55キロを過ぎると、僕は倒れました。足はもはや言うことを聞きませんでした。2頭の馬が、僕の体を両側から引き裂こうとしているように感じました。約75キロの地点で、僕は再びちゃんと走れるようになったんです。痛みは消え、僕はもう一方の世界に到達したんです。僕の中を幸福が押し寄せ、陶酔感に満たされてゴールラインに到着しました。僕は走り続けることができたんです。それにもかかわらず、再びウルトラマラソンを走ることはないでしょう。
S:なぜですか?
M:この究極の体験のあと、“ランナーズ・ブルー”と僕が呼んだ状態に入り込んだのです。
S:それは何でしょう?
M:けん怠の一種です。走るのに飽きてしまったんです。100キロ走るのは、本当につまらなかった。11時間以上もひとりでいないといけないんですよ。そしてこのけん怠が僕をむしばみ、僕の魂からモチベーションを吸い取った。前向きな姿勢が消え、走るのが嫌いになりました。何週間も。
S:どうやって楽しみを取り戻したのですか?
M:自分に無理に走らせようと努力しました。でもそれは効果がなかった。楽しさが完全になくなってしまった。そこで、違うスポーツをすることにしたんです。新しい刺激を試してみたかったので、トライアスロンを始めました。効果がありました。しばらくすると、走りたいという欲求が戻ったのです。
S:あなたは59歳です(2008年時点)。どれくらいの間、マラソンに参加していきたいとお考えですか?
M:できるだけ長く歩けるよう、ランニングを続けるつもりです。僕の墓石に何と書きたいか知りたいですか?
S:教えてください。
M:『At least he never walked』(何はともあれ、彼はけっして歩かなかった)
S:村上さん、今日はインタビューをありがとうございました。
The interview was conducted by Maik Grossekathöfer .
原文:2008.2.20 SPIEGEL Online International
http :// www.spiegel.de/ international/ world/ 0, 1518, 536608, 00.html
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